140字小説

白い頬がしきりに動く。熟れた蜜柑を剥く細い指先が寒さのせいかほんのり紅い。
「何見てんの、じじい。……いる?」
口許に差し出された欠片は、まだひと粒と呼ぶには未熟なちいさな実を伴っていた。
「もらおうかな」
指先でつまんで、口に放り込んだ。

実るにはもう少し時間がかかりそうだ。
2024/1/10
居室から厠へは、庭に面した冷えた廊下を通る。審神者の執務室の前に来ると、池を丁度よく見渡せた。
つい数日前まで跡形もなかった月が、その姿を波に揺らしている。
「まったく、いつになったら降りてきてくれるのでしょうね」
横たわった三日月は、抗議をするようにひときわ大きく揺れた。
2024/1/11
すれ違いざま鼻に届いた香りが、いつもと違った。記憶が正しければ堀川と和泉守が使うシャンプーと同じ匂い。
自覚したあの日からなんとなく気まずくて、風呂の時間を意図的にずらすようになった。
「ねぇ、俺の使いなよ。シャンプー」
気づくと引き留めていた。ああ、今の俺、すげー変な奴だ。
2024/1/12
憧れていた。
稲荷明神と相槌を打った鍛冶屋。父の名と常に共にある物語。その背に負ったものを、その腕に抱くものを、いつか頒つことができるだろうかと。

強かった。練度も経験も俺よりずっと勝っていた。
砂埃の奥に靡く銀髪と踊る山吹色、それらを染め上げる赤。

手を伸ばしても、もう届かない。
2024/1/15
『秋の田の 刈穂の苫の 逢瀬なれば』

部屋に残された句。
最近はどちらも出陣続きで、あまりゆっくりした時間が取れていないことは分かっていた。
小狐丸は、かつての主達はこのようにおなごに振り回されたのかと苦笑する。
筆をとり、隅に書き加えた。

『あしたのころも 抱かぬものかは』
2024/1/16
「苺はヘタの方から少しづつ食べるのが旨いらしいぞ」
指先で苺をつまみながら則宗が言う。
「へぇ。なんで?」
「先端にかけて段々甘くなっていくんだそうだ」
「……でもあんた、好きなもの最後に残すタイプじゃないだろ」
清光も苺を口に放り込む。下心が頭をもたげた。
「少なくとも昨日の夜は、」
2024/1/17
伸ばした腕の先、指の隙間を零れた光が右目を焼く。
顕現してすぐ、同じように空に手を伸ばしていたら坊主が教えてくれた。あそこでは炎が燃えていて、誰も触れられないのだと。
「お前さんは愛想も面倒見もよくて、本丸の要で、……そして僕のものにはならない。まるで」

太陽のようではないか。
2024/1/18
「じじい、星座占いやりたいから顕現日教えてよ。因みに俺はさそり座ね」
坊主が言いながら二本の指を鋏のように動かす。
つい先日本丸勉強会で星座については習ったばかりだ。
「僕はあの強そうなのがいいな。オリオン座と言ったか」
「……自分では選べないよ」
困ったような呆れたような顔をした。
2024/1/22
小狐丸が宝物の装備を辞退した。合成したばかりの曜変天目茶碗を抱えた主が悄気ていた。
「主が萎れていたぞ。受け取ってやらんのか」
「私にはもう宝があるのでな。おぬしが装備すればよかろう」
小狐丸が答える。
「宝、か?」
「葵色の時鳥よ」
手の中には、書を好む小狐丸に以前贈った栞があった。
2024/1/23
あまり広くない洗面所の、朝。
「ん。じじいじゃん」
口の中の歯ブラシのせいで間抜けな声が出た気がする。
「おはようさん」
短く則宗が答えて、同じように歯ブラシを咥えて隣に並んだ。
二振りが腕を動かすたびに軽い音が響く。
出会ったころにはなんとなく気まずかった静寂も、今では心地よかった。
2024/1/25
立ち上がった拍子にペンを取り落とした。
「主、大事ないか」
乾いた音に、やや離れた机で書類を捌いていた三日月が顔を上げ尋ねてくる。
「ああ、大丈夫。ただペン先が曲がってしまったようでね、新しいものを用意しなくては」
作業に戻った俺は、三日月の言葉を取り零した。
  
「……歪み、即ち徒か」
2024/1/28
暗闇に虫と木々の音だけが響く。
小狐丸は、布団に侵入してきた気配に目を開けた。向けていた背中を縋るように掴まれる。
「明日は出陣じゃろ。今日はせぬぞ」
温もりが身じろいだ。
「よい。少し寒かっただけだ」
「……本当に甘えるのが下手じゃな」
身を返し、一回り小柄な体躯を腕に抱きとめた。
2024/1/29
「小狐丸。手」
不思議なくらい機嫌のいい三日月が、両手をこちらに差し出してきた。
「なんですか、って、わわ」
その手を取れば、あっという間に絡め取られて執拗にこねくり回される。何かを塗られたらしい。
「これはな、あざとい、というやつらしい」
そう言う恋刀は、満面の笑みだった。
2024/1/31
心地よいリズムを刻む低音と、斜陽に照らされる吊り革。車内に人影はない。
左肩に凭れた濃紺の髪がひと房、光を浴びて零れ落ちた。
君とずっと、このまま、
「小狐丸! 主にあれを買って帰ろう」
突然指さしたモニターには季節のスイーツ。小狐丸は苦笑する。
「そうですね、帰りましょうか」
2024/2/1
吐いた息が薄くなって消えてゆく。降った雪が、隣に並び立つ白銀の髪と混ざりあってひとつになる。
月が綺麗、は告白の言葉らしい。
「……雪が、綺麗だな」
「ええ、そうですね」
では月はどのように想いを告げればいいのだろうか。
雪のように静かに、それでいて重たく覆い被さるこの気持ちを。
2024/2/5
なぜいつも面倒を見てくれるのか、聞いた事がある。
装束の構造上自らの手で着ることは難しく、顕現当初から着替えの手伝いをお願いしていた。
「我らは人の言う兄弟のような関係でしょう。支え合い並び立つことが自然だと感じるから……でしょうか」

特別なのに特別でない、この距離感がもどかしい。
2024/2/9
そう広くない厨は、人数が増えると急に狭く感じられる。
短刀や脇差ならばいざ知らず、身丈が六尺ある太刀が二振りも揃っているのだから殊更だ。
「うん、いい感じ。さすが小狐丸さん」
「おや、身に余る言葉ですね。貴方にそう言ってもらえるとは」
ころんと焼きあがった菓子に、二振りは目を細めた。
2024/2/13
角を曲がりかけに山吹の衣と出会う。その手には、主が配っていた洋菓子を大切そうに抱えていた。
酷く嬉しそうなのがなんだか面白くない。
「っ、……それとこれ、交換しないか」
赤い包みを差し出すと、それよりもっと深い赤が瞬いて。
「ふふ、交換は嫌ですが、頂けるのなら」
蕩けるように綻んだ。
2024/2/14
透き通る硝子に注がれる深紅の液体。
「西洋酒も偶にはよいかと」
微笑む瞳の色によく似ている、そう思い告げると、暫し思案の表情を見せる。
「私のものよりも些か青みがかっているように思いますが……」
赤が、波打って跳ねた。
「貴方の瞳と混ざり合えば丁度このくらいでしょうか」
2024/2/19
自由、それが数百年ぶりに会った兄の印象だった。
元より献上される為に鍛えられた刀。次に会うのは何世紀後か、はたまた俺が先に折れているやもしれぬ。そう覚悟していた。

楽の音が満ちた空間に、兄が心地よさそうに身を委ねて舞う。
鋼に縛られた自分からは遠くて、脳に焼き付いて離れなかった。
2024/2/21
男士の部屋にはくず入れがない。
髪の毛や爪、血液や涙などの体液に至るまで、ひと度肉体を離れれば実体を保てず霧散するからである。不慮の漏水を拭ったティッシュや菓子の袋は、厨のもので事足りる。
もし必要になるとすればそれは、男士が限りなく人に近づいた時。"人並み"の欲求を備えた時である。
2024/2/24
日が大きく傾いている。いつの間にか眠ってしまっていたらしく、気が付けば腕の中に恋刀が小さな寝息を立てて収まっていた。
「三日月」
少し風が出てきたようで起こそうと声を掛ける。整った眉が眇められたさまに小狐丸は息をつき、山吹で月を覆い隠し再び意識を手放した。
2024/2/29
「おや、おかえりなさい」
襖から覗いた人影はゆっくり腰を落とし、顔を上げた小狐丸にしな垂れかかるようにして凭れる。
「また見栄を張ったのでしょう。ほら、せっかくの装束が皺になりますよ」
「……少し、このままで頼む」
絞りだされたその声に、夕餉までに起こせばよいかと小狐丸は匙を投げた。
2024/3/1