小狐三日140字小説

    視線を感じて目をやれば、見慣れた深い青の衣が曲がり角で翻る。
    想いを告げたあの日から、所在なさげに泳ぐ瞳や、擦り切れてしまいそうなほど手甲の房をちねるなど、可愛らしい所作が増えた。

    返事は、まだだ。
    もうしばらくあの愛らしい姿を見ていたいなどと言ったら、拗ねられてしまうのだろうか。    
    
2024/5/2
    遠征から数日ぶりに帰ると、三日月との二人部屋が少し様変わりしていた。問えば、今剣から掛け軸を貰ったので飾ったのだという。
    以前の水墨画のような山水図も好みではあったが、新しい水鳥の絵も彩色が華やかでこれはこれで良い。
    「面白がりおって……」
    ──その水鳥がおしどりである事を除けば。
    
2024/5/3
    壁掛け時計の秒針の音が暗闇に嫌に響く。
    本丸設立後早々に顕現した三日月は長らく一人部屋だったはずなのだが、一度賑やかに暮らしてしまうと、静寂は妙に居心地が悪い。
    初めての小狐丸の長期遠征、この静かすぎる夜は数日は続く。
    三日月は、一組だけ敷かれた布団の中で、白い四肢を縮こませた。
    
2024/5/4
    湯けむりに溶け込むような長く白い髪。
    「小狐丸殿の髪はやはり、美しいな」
    「天下の三日月殿にそう言って頂けるとは。光栄ですね」
    触ってみますか、という問いに応じてひと房摘むと、滑らかな手触りと裏腹に案外芯がある。
    まるで持ち主のようだと言えば、長く整った睫毛が弓なりに細められた。
    
2024/5/5
    八つ時。涼し気な小鉢には五分角に切られた果実が盛られている。
    「小狐丸、これをやろう」
    差し出す突き匙には黄緑の果肉。キウイとか言っただろうか。
    「好き嫌いなんて珍しいですね」
    「ちょっと、な」
    いつになく真剣な面持ちだ。自然、身構える。
    「先日こやつの汁が目に入って散々な目にあった」
    
2024/5/10
    真白を走る筆先と滲む黒。
    指先がふと、見慣れぬ小さな青銅の鶯を摘んだ。
    「新しい文鎮か?」
    「ええ、昨日落として欠けてしまって。これはぬしさまからの借り物です」
    先日つい買ってしまった美しい狐を取り出す。
    「こんなのは、どうだろうか」
    小狐丸殿に似ている、だなんて口が裂けても言えない。
    
2024/5/11
    毎朝空が白む頃、三日月は四半時ほど部屋を空ける。
    何をしているのかと問うた翌朝は声をかけられた。
    「この縁石からみると、あの風見鶏が虹色に光る」
    部屋から少し歩いた、主の趣味の日本庭園。
    まだ冷たい皐月の空気を割く陽光。世界に二振りしか居ないような、心地の良い静寂だった。
    
2024/5/12
    額を滴る血に視界が濁る。頭の怪我は出血が酷くて困るな、などと考えながら門を潜った。
    「ま、た貴方は……っ!!」
    すごい剣幕で歩いてきた小狐丸が、顔を両手で挟む。手甲がひやっこい。
    「ち、違うんです。燕の雛を巣に戻そうとして軒に……」
    慌てた様子の五虎退。

    ──ああ、愛されているな。
    
2024/5/12
    小狐丸が宝物の装備を辞退した。合成したばかりの曜変天目茶碗を抱えた主が悄気ていた。
    「主が萎れていたぞ。受け取ってやらんのか」
    「私にはもう宝があるのでな。おぬしが装備すればよかろう」
    小狐丸が答える。
    「宝、か?」
    「葵色の時鳥よ」
    手の中には、書を好む小狐丸に以前贈った栞があった。
    
2024/1/23
    庭の池には鯉が住んでいる。
    「おや花丁子。久しぶりだな」
    三日月が声をかける。
    「名前があるのですか?」
    彼には見分けがつくらしい。
    「ああ、こやつは歌仙の名付けだが……俺の名付けはあやつだ。あの奥の、真っ黒の」
    「名前はなんというのですか」
    三日月は得意そうに鼻を鳴らす。
    「黒団子だ」
    
2024/5/18
    昨夜はあんなに寝苦しかったのに、今夜は冷える。闇の中でふと目を覚ました三日月は身を震わせた。
    「小狐ま、__っ?」
    暖を取ろうと隣の布団に潜り込んだところ、突如ぐっと引き寄せられた。声をかけるが返事はない。
    背中に伝わる温もりは、ほどなくして瞳を閉じた三日月を夢の中へと誘った。
    
2024/5/19
    万屋からの帰り道を濡らす雨。生憎傘はひとつしかなく、二振りで身を寄せあって歩く。
    「もう少しこちらへ。濡れてしまいますよ」
    柔らかな声に呼ばれ一歩寄れば、肩が触れ合う。
    水滴がふたつ、いつもより少し高い位置にある傘の縁から、速さを競うようにして地面に冠をつくった。
    
2024/5/20
    誘い込まれた、と気づいた時にはもう右腕が血飛沫をあげていて。
    ──力が入らない。まだ大太刀が残っているのに。
    少し離れた位置に膝をつく山吹の姿。
    「小狐丸!」
    名を呼んで駆け寄ると、こちらの意を察したのか正対する。
    組まれた手に足をかけて跳躍し、落下の勢いそのままに刀を振り下ろした。
    
2024/5/23